新たな遺構発見


 国指定の史跡である東京都国分寺市武蔵国分寺跡で、塔基壇とみられる新たな遺構が発見された。市の史跡整備計画策定委員会(委員長・坂詰秀一立正大教授)は、8世紀の創建時の七重塔跡である可能性が高いとみており、9世紀に焼失後、同じ位置に再建されたという定説が覆される可能性が高まった。

 遺構は同市西元町3丁目の史跡公園内の、現在残る七重塔跡の54メートル西側で見つかった。委員会が地中レーダーで探査した結果、1辺約11メートルの基壇に似た反応があった。土を突き固めて重ねた版築土層が約20メートル四方に広がり、最も深い部分の版築土は厚さ約3メートルで、細かく何層も積み上げられていたことが確認された。

 これまでの調査から委員会は「規模や形状から塔基壇と考えざるを得ず、創建時の塔の可能性が高い」として、7月から年代判定のために礎石を抜いた跡や焼土の痕跡の有無などを調べる。

 同国分寺跡の史跡整備は、七重塔の位置が創建当時から変わっていないとの前提で進めてきた。しかし、今回の調査によって委員会は、「伽藍(がらん)の配置や変遷をめぐる従来の見解に重大な変更を迫る」として、整備計画を根本から見直すことにしている。

 武蔵国分寺は天平宝字年間(757〜765)に創建された。しかし、「続日本後紀」によると承和2(835)年に落雷で焼失、9世紀後半に再建された。

 この際、創建時と同じ位置だったかどうかについて、明治期から論争となった。64年の発掘で現在の七重塔跡から焼けた瓦が交じった粘土で補強した跡や礎石を据え変えた跡などが見つかったことから、創建時と同じ位置に再建されたと結論づけられていた。


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