国内最古の7世紀初めに彩色


 奈良県斑鳩町法隆寺で、7世紀初めの彩色された壁画片約60点が出土したと1日、同町教委が発表した。聖徳太子が造ったとされる創建法隆寺(若草伽藍)跡の西側で見つかり、日本書紀に記述される670年の火事で焼失した寺の金堂や塔の壁画とみられる。全体の絵柄は不明だが仏画の一部とみられ、壁画としては国内最古。破片は1000度以上の高温にさらされていることが分かり、創建法隆寺の焼失を裏づける有力な物証ともなった。

 法隆寺の門前広場整備に伴い、南大門の南東約30メートルで9月から約110平方メートルを発掘した。壁画片は、焼けた跡がある飛鳥時代の瓦や金属製品の破片などが積もった地下約2メートル付近の20〜30センチの層から見つかった。

 最大のものが約5センチ×4センチ。壁土に白土を薄く塗った下地に、高熱で変色したとみられる赤褐色や鉛色、肌色、くすんだ緑色などの彩色が残っていた。うち1点を奈良文化財研究所(奈良市)が鑑定した結果、赤の顔料の成分である鉄と、緑か青の成分の銅を検出した。

 別の壁土を調べたところ、1000度以上の高熱で焼いた陶磁器と同じような状態になっており、溶けた金属片も確認された。壁画は屋内にあることから、創建法隆寺は内部まで焼き尽くす火災に遭ったことが推測される。

 壁画片を鑑定した百橋明穂(どのはしあきお)・神戸大教授(美術史)は「現法隆寺の金堂にあった浄土図のような大画面の絵ではなく、釈迦の前世物語の本生図のような説話的な壁画ではないか」とみる。さらに、聖徳太子の死を悼んで作られたといわれる刺繍「天寿国繍帳」(国宝、飛鳥時代)に似ている部分もあると指摘した。

 出土場所は、若草伽藍の金堂と塔の中軸線から西約100メートルで、当時は深さ約3メートルの谷だった。町教委は、焼失したがれきをこの谷に捨てたとみている。

 国内最古の寺院壁画は、浄土世界が描かれた現法隆寺(7世紀後半〜8世紀初め)のものと神将像などを描いた上淀廃寺(鳥取県淀江町)の例がある。法隆寺の金堂壁画は一部を除いて1949年の火災で焼失した。

 町教委はさらに発掘を続け、壁画片がないかなど調査を続ける。現地説明会は4、5両日の午前10時〜午後3時。

  • 〈東野治之・奈良大教授(日本古代史)の話〉 若草伽藍では焼けた瓦の発見が少なく、火災を疑う主張の根拠にもなってきたが、焼失を裏付ける考古遺物が発掘された意義は大きい。日本書紀の通り、かなり大規模な火災だった様子もうかがえる。見つかった壁画片の図柄は小さいようだ。線の描き方が現法隆寺の金堂壁画と比べて古風で、一時代前のものとわかる。
  • 〈若草伽藍〉 現法隆寺(西院伽藍)の中心から南東約200メートルにあり、塔の心柱の巨大な礎石が残っている。今の法隆寺は金堂の様式の古さから創建当初(7世紀初め)のままだとする「非再建論」が1905年に登場したが、39年に若草伽藍を発掘して金堂跡と塔跡が出土、焼失後に建てられたとする「再建論」が定説となった。 (12/01 21:11)