仲悪くなかった?

印の上に「海舟」と見える=高知県立坂


 幕末に幕府を背負った勝海舟(1823〜1899)が、坂本龍馬(1835〜1867)を「嗚呼南海偉男士 甲午初夏 海舟」とたたえた「賛」(添え書きの文)のある龍馬の肖像画と、龍馬直筆の手紙が見つかった。肖像画の文字は、海舟が明治時代に、幕末に活躍した龍馬を思い起こして書いたらしい。11月13日から高知市浦戸の高知県立坂本龍馬記念館で始まる特別企画展に出品される。

 同記念館によると、肖像画と手紙は横浜市内の龍馬に縁のある個人宅に保管されており、今年4月に同記念館の学芸員らが確認した。

 肖像画は石版画で、縦540ミリ、横420ミリ。「賛」は右上にあった。同じ構図の写真がよく知られており、それをもとに描かれたらしい。描いた人は不明だが、「T・O」とイニシャルらしいアルファベットが添えられていた。

 「甲午」という文字もあることから、1894(明治27)年ごろに書かれたとみられる。2人を結ぶ史料は海舟が1895年ごろに龍馬をたたえて龍馬の手紙に書き込んだ奥付(京都府京都文化博物館所蔵)が知られているが、龍馬と海舟の間では直接の手紙のやりとりは一切知られておらず、2人は仲が悪かったという説もあった。

 同記念館の三浦夏樹学芸員肖像画について、「この時期に龍馬を顕彰する動きがあり、生前の龍馬を知る海舟にもその評価を求めたのではないか。海舟と龍馬の仲は悪くなかったということが言える史料だ」と話している。

 手紙は、慶応3年8月の日付で、龍馬が暗殺される約3カ月前、土佐藩重臣佐々木高行にあてて書かれたもの。長州藩の船の修理代を土佐側が貸したことへの謝意を示した上で、「御国(土佐)の議論も根強く仕度(つかまつりたく)、唯此所一向ニご尽力奉願候」などと、藩内の意見を大政奉還の方向でまとめてほしいと頼んでいる。

 記念館によると、内容や存在は知られていたが、現物は行方不明になっており、確認されたのは75年ぶりという。

 企画展は来年1月30日まで(12月26日から来年1月1日まで休館)。大人400円。高校生以下無料。問い合わせは同記念館(088・841・0001)へ。

(10/16 19:44)



伊集院光も参加

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