<阿倍仲麻呂と安南都護府〉

 阿倍仲麻呂は7世紀末か8世紀初めに生まれ、遣唐使の一員として唐に留学。科挙に合格し、玄宗の信頼を得て高官になった。日本に帰ることを望みながら長安で没した。帰国をめざしたものの遭難した船旅に出発した際に「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも」と詠んだ。

 安南都護府は、唐が周辺諸民族統治のために置いた六つの出先機関都護府」の一つで、南方異民族支配のために現在のベトナムハノイに設置された。阿倍仲麻呂は760年ごろ都護(長官)として2年間赴任したとされる。 (08/03 15:40)


エラ・グル 戦火は消えない

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