ソウルミュージックの草分け


 米国の盲目の歌手で、ソウルミュージックの草分けとされるレイ・チャールズが10日、肝臓病による合併症のためロサンゼルス郡ビバリーヒルズの自宅で死去した。73歳だった。

 南部ジョージア州の貧しい家庭に生まれ、緑内障が悪化して7歳になるころ視力を失った。ピアノは3歳から始め、フロリダの盲学校に入学後、独学で作曲を覚えた。15歳までに両親をなくし、苦難の少年時代を送った。

 盲学校を出てすぐ音楽家として歩み始めた。教会音楽のゴスペルと、黒人のルーツ音楽のブルースを土台にした独自な歌唱法を発展させ、「アイ・ガット・ア・ウーマン」「我が心のジョージア」などのヒット曲で、リズム&ブルース、ソウルの大御所となった。

 黒人音楽エンターテイナーの先駆的存在だったが、それだけにとどまらず、ロックンロールの草創期にエルビス・プレスリービートルズら白人音楽家にも大きな影響を与えた。20世紀ポピュラー音楽界を代表する巨人だった。86年には米の「ロックの殿堂」入り。93年の「ア・ソング・フォー・ユー」などで米音楽賞の最高峰グラミー賞を12回受賞している。

 映画「ブルース・ブラザース」(80年)に楽器店主役で出演して劇中歌を歌い、また、サザンオールスターズの代表曲「いとしのエリー」を英語でカバーし日本のファンにも特に親しまれた。

 女性問題や薬物中毒もあったが、サングラス姿で身をのけぞらせ、満面の笑みで歌う独特なスタイルで、最後まで一線で活躍した。

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