チンギス・ハーンの霊廟を確認

チンギスハンの霊廟の跡とみられる礎石


 モンゴル東部のアウラガ遺跡を調査している日本・モンゴル合同調査団(総隊長=加藤晋平・元国学院大教授)は4日、モンゴル帝国(1206―1368)の初代皇帝チンギス・ハーンを祀った霊廟を確認したと発表した。

 当時の文献資料には、チンギスの陵墓は霊廟の至近距離にあったと記されており、世界史上最大級の謎とされる陵墓発見に大きく前進する成果として注目を集めそうだ。

 アウラガ遺跡は、モンゴルの首都ウランバートルから東へ約250キロの草原にあり、東西約1200メートル、南北約500メートルに達する。文献記録や地元の伝承、採集資料の年代などから、チンギス・ハーンの大オルド(本営)跡とされている。

 霊廟の遺構は、この遺跡のほぼ中央北寄りにある約25メートル四方の基壇跡で確認された。屋根瓦が見つからないことから、天幕だったと見られる。形はモンゴルの伝統的な移動式円形住居ゲルとは異なり方形で、規模は一辺約11メートル。霊廟の内部からは、礼拝所の間仕切りと見られる凸字形をした石積みの遺構が発掘された。出土遺物などから、13世紀後半から15世紀中ごろと推定される。

 霊廟の周囲からは、焼けた馬や牛などの骨と灰が詰まった「焼飯(しょうはん)」と呼ばれるモンゴル民族の祖先祭祀の痕跡が出土。中国の正史「元史」にある「(霊廟では)皇帝の死後3年間、1日1回、焼飯の祭りが行われた」との記述と一致した。

 こうした事実のほか、後世に建立された中国・内蒙古自治区の霊廟「成吉思汗(じんぎすかん)陵」と構造が酷似していること、チンギスの本営だったという遺跡の性格などを総合的に判断して、調査団はこの遺構が、チンギス・ハーン霊廟であると断定した。

 廟の下層からは、二種類の建物跡が確認されており、それぞれチンギスと2代皇帝オゴタイの宮殿跡と見られる。調査隊の白石典之・新潟大助教授(モンゴル考古学)は「チンギス・ハーンの宮殿跡が、死後、神聖視され、霊廟として祀られたと考えられる。元が滅んだ後の15世紀以降、霊廟は内蒙古へ移転したのだろう」と分析している。

 チンギス・ハーン祭祀を研究している楊海英(やん・はいいん)・静岡大助教授の話「遺構の形と馬の骨が大量に出ていることから言って、チンギス・ハーンの霊廟に間違いない。謎に包まれたモンゴル帝国の歴史を解明する上で世界的な発見と言える」